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長島藩(ながしまはん)は、伊勢国桑名郡長島(現在の三重県桑名市長島町)に存在した藩。居城は長島城〔二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(371ページ)〕。 == 藩史 == 伊勢長島は戦国時代、織田信長の攻撃を受けて天正2年(1574年)、一向一揆衆2万人が大量虐殺されたことで有名である。その後、領主は滝川一益・織田信雄・豊臣秀次とめまぐるしく変わり、慶長3年(1598年)に福島正則の弟・福島高晴が1万石で入部した。慶長5年(1600年)に高晴は大和宇陀松山藩へ移され、翌年に徳川譜代の菅沼が上野阿保藩より2万石で入ることにより、長島藩が立藩した。第2代藩主となった菅沼定芳は城改修・城下町建設・新田開発などを行なって藩政の基礎を固めたが、元和7年(1621年)に近江膳所藩へ移され、長島藩は一時、廃藩となった。 慶安2年(1649年)、久松松平家の松平康尚が下野那須藩より1万石で入ることで再び立藩する。しかし貞享2年(1685年)に康尚の跡を継いだ次男・松平忠充が元禄15年(1702年)に乱心により重臣を殺害したため、改易された。代わって常陸下館藩から増山正弥が2万石で入る。増山家は第4代将軍・徳川家綱の生母・宝樹院の縁者であったことから取り立てられた大名家である。第6代藩主・増山正寧や第7代藩主・増山正修はいずれも若年寄を務めた。 以後、増山氏が8代にわたって支配し、明治4年(1871年)の廃藩置県によって長島藩は廃されて長島県となり、その後安濃津県に編入された。 長島はデルタ地帯のために洪水による水害を受けやすく、田畑を等級化することによる災害対策が行なわれていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長島藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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